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2024.10.01 ART TAIPEI 2024
阿部 瑞樹 solo exhibition
 『 from the car 』
2010.11.15 (mon) - 2010.12.10 (fri)
gallery close 11/21・27・28・12/4・5
open 11:00~18:00
現在、この展覧会は終了しています。
現代社会に於いて、自動車の存在は無くてはならないものとなってきました。自動車は道具としての様々な役割を与えられ、物や人の大きな流れを作り出し、今となっては道具として当たり前に存在するものとなっています。しかし、自動車という物は道具としての役割を持つだけでなく、所有者のパートナーや家族、ペット等の位置づけをされ、より生物的に扱われるようになってきました。 工業製品であり、道具であり、無機物であるはずの自動車に対して、愛着を持ち、まるで家族のように扱ったりするのは何故なのか。 「物を大切にする」という精神はよく子どもの頃から教えられたが、物を本来のあるべき姿ではなく、別の物として見る「見立て」の精神が日本には古くからあり、それが私たちに受け継がれて今に至っているが故に、こういった現象が起こるのではないでしょうか。無機物を有機物に見立てたり、そもそも生死の概念が無いものに、どこか生を感じたりすること等、自動車には様々な芸術的要素が存在するモチーフだと考えます。普段強く意識していない自動車の様々な要素を、私なりの表現と手法で作品化することにより、新しい価値観や視点を伝えていきたい。(阿部瑞樹)


19世紀末に誕生した自動車という文明の利器は、21世紀に至る現在まで技術革新を何度も繰り返し我々に多大な恩恵をもたらしてきました。しかしその恩恵はある意味様々なものとの引き替えに得たものでもありました。燃料に代表される自動車が現在抱える問題とは、自然との調和や基幹産業としての役割、それらを成り立たせるための更なる科学技術の進歩等、21世紀の我々がこれからあらゆる部分で克服していかなければならない社会の問題を象徴しているようにも感じます。阿部瑞樹が画くかわいい車達の表情からは色々な問題を克服し人間と共生していきたい、いかなければならない車の感情が聞こえてくるような気がします。(Program director 上山潤)

中井幸子 solo exhibition
『One~Where are you?~』
2010.10.05 (tue) - 2010.11.02 (tue)
gallery close 10/10・11・17・23・24・31
open 11:00~18:00
現在、この展覧会は終了しています。
生きているということは、風景とともにあることだと思います。同じ時間や場所ですごしていても、一人ひとりが自身の体で体感するもの、それが風景だと考えています。ただ、それぞれが経験してきた時間や場所、そこから感じた風景は違っても、共有できる何かがお互いにあるということが大切ではないかと考えています。たとえ感じた風景が全く同じではなくても、それらはすべて大きな時間の流れのなかでひとつになっていくような気がします。例えば、私は、私自身が感じた風景をもとに描いています。それをみた人はその人自身が今まで体感してきた風景を思い出したり、感じたりします。そして、お互いに感じていることが作品を介して共有できると思うのです。タイトルの「One」にはこのような意味をこめています。ひとつの大きな時間の流れのなかで、みる人に「Where are you?(あなたはどこにいますか?)」と、問いかけることができればと考えています。(中井幸子)

誰もが幼き時分一度は描いたことがあると思う一本の道の絵、私はそういうこれ以上ないくらいシンプルで強い絵を探していた。そして出会ったのが、中井幸子が描くOne~Where are you?であった。彼女の作品を前にするとき、そこには小難しい絵画・芸術などという障壁は一つも存在しない。誰もが自然に入り込むことが出来るスケールの大きな世界が存在するだけである。(Program director 上山潤)
松本央 solo exhibition vol.2
『現(うつつ)の果て』
2010.07.19 (mon) - 2010.08.18 (wed)
gallery close 7/17・18・24・25 8/1・7・8・13・14・15・16
open 11:00~18:00
現在、この展覧会は終了しています。
人は生きている限り、移ろい変わっていく。肉体の変化は勿論、精神においても、自分が意識する、しないにかかわらず、自らが接するあらゆるものから、五感を通して感じる刺激や情報の影響を受け恒常的に変化している。しかし、このような様々な刺激や、膨大な情報の渦中にゆらゆらと漂い、あるいは流され、変化を続けながらも、私は揺ぎ無い「私」として存在している。この矛盾の上に「人間」の存在はある。私は、この時代を生きる「私」という特定の個人の身に起こる変化、現象を描き続けていくことで、逆説的に、揺ぎ無い存在である「私」、さらには時代や場所、性差などの違いを超えた「人間」の本質を浮き彫りにしたいと考えている。  (松本央)
松本央は1983年京都生まれの27歳の画家である。彼は終始一貫自画像を画き続けることを決意した画家でもある。社会の中で自分は何者なのか?それが良く分からない状態で毎日を過ごす現代人は社会の中で様々な顔を待たなくてはならなくなった結果、本当の自分の姿を喪失していく。心の内に問いかける時、答える自分が本物なのか問いかけている自分が本物なのか?社会にでて見られている顔が真の自分の顔なのか仮面なのか?その判別が出来なくなった現代人は、改めて見えない束縛からの開放への戦いを挑まなくてはならない。松本が画く自画像とは、そんな現代社会に生きるありのままの自分を見つめ探す行動的記録日記でもある。 (Program director 上山潤) 
松本央 solo exhibition vol.1
『無常の空間-108人の自画像-』
2010.06.22 (tue) - 2010.07.15 (thu)
gallery close 6/26・27 7/3・4・10・11
open 11:00~18:00
現在、この展覧会は終了しています。
「ありのままの自分を見つめる」これは、私が自分をモチーフに作品を制作するに当たって、 テーマとしていることの一つである。半年の間、毎日ただひたすら自分の姿を鏡で見て、 この『108人の自画像』は、完成した。画面の中に描かれた108人の顔は一つとして同じ ものは無い。だが、それらはすべて紛れも無く私(松本央)の顔である。 数多くの自分を描いていく中で、その日の体調や気分によって描き方が変わり、また、 それによって画面に現れる顔の形や表情といったものも変化していく。これはアナログな方法 による仕事の性質上、どうしても出てくるブレだ。 しかし、画面に描かれているのは、私の容姿だけではない。筆致や絵の具をぼかした指の跡 といった身体的な痕跡、または、その日の気分や体調といった内的なもの、さらには、この 作業をおこなった半年間の時間に至るまで、もれなく絵の中に記録されているのだ。  つまり、この「108人の自画像」は、私の外見や内面、私を取り巻く空間すべてをひっくるめた 「ありのままの自分」を描こうと試みた私の行為の記録である。(松本 央)
松本央は1983年京都生まれの27歳の画家である。彼は終始一貫自画像を画き続けることを決意した画家でもある。芸術とは社会を映す純粋な鏡である。しかしその鏡に映し出される社会の様相とは芸術家個々が様々な方法によって表現し数限りなく存在する。一つだけ、どの表現にも当てはまる原則がある。この鏡に映し出されるものとは、芸術家個人の内面からしか生まれないということだと思う。そう考える時、画家が社会の中に存在する様々なものについて表現する時、常に自分というフィルターを透過させることによってその考えを世の中に訴えているという事になる。もっと突き詰めて言えば本質は社会に生きる自己を見つめ続けている生き物でもある。松本央はそのシンプルな考えに沿って自画像という手法を選択し、自らに与えられた、社会に生かされている時間全てをつぎ込むことを決意した画家なのです。 (Program director 上山潤)
山本幸夫 solo exhibition
『FACE』
2010.05.20 (thu) - 2010.06.17 (thu)
gallery close 5/23・29・30 6/5・6・12・13
open 11:00~18:00
現在、この展覧会は終了しています。
私が美術高校に入学し、初めての彫塑の課題はベートーベンのデスマスクの模刻だった。そのデスマスクを何も考えることなく似せようと模刻していたのを覚えている。それから40年近く。マネキンの造型師としての職に就き、顔造りとは切り離せない環境にあった。そんなせいもあって顔には特別な想いを抱いている。ここ数年前から私は何かを考えたり作りたいと思った時、出発点として人の顔を描いたり粘土で作ったりすることにしている。その制作過程の中、色々な物の見方や発見がある。 その形の中に光の流れを見つけ影を追うといった作業を繰り返す。“喜”“怒”“哀”“楽”それ以外の感情。複雑な感情が表れては消えていく。そして“無”。たくさん顔を造ってきた今。デスマスクには深い意味があると感じる。それは決して死を表現しているのではなく、あらゆる物から解き放たれた姿なのではないか。むしろ穏やかな眠りの姿のように見える。その人が持っている本来の素顔なのではないだろうか。自分や他人を意識せず感情や表情を抜き取った本来の素顔を造ってみたい。(山本幸夫)