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2024.10.01 ART TAIPEI 2024
COMBINE/BAMI galleryの作家たち
証展/起展
2019.12.18 (wed) - 2019.12.29 (sun)
OPEN 12:00~18:00
期間中無休
※最終日午後4時閉廊
現在、この展覧会は終了しています。
COMBINE/BAMI galleryの平面作家による証展、立体作家による起展、この2展の合同展を本年最終企画として開催いたします。 証展も起展も、展覧会が目指すものは同じです。 展覧会の主旨は一作品集中です。その1作品とは、各作家の現時点における最高出力というのがルールになっています。 実験的且つ挑戦的な作品であることが展覧要件を満たす重要なポイントとなります。個展にて発表する作品群とは異なり、各作家の今を鮮明に現す展覧会です。

小橋順明 solo exhibition ~こわれてきえた~
2019.12.01 (sun) - 2019.12.15 (sun)
※12月1日,10日作家在廊

OPEN 12:00~18:00
期間中無休
※最終日午後4時閉廊
現在、この展覧会は終了しています。
失いたくない、という愛がここにある。 容赦ない現実のなか、わたしたちは、無力で儚い。 努力と祈り以外に私たちを救う何があるだろうか。

岡部賢亮 桐塑展 『龍の巣』
2019.11.19 (tue) - 2019.11.28 (thu)
OPEN 12:00~18:00
期間中無休
※最終日午後4時閉廊
現在、この展覧会は終了しています。
嵐の中心は嘘みたいに晴れているらしい。 きっとそこには竜巻を起こしている何かがいて祭りでもしているに違いない。

吉祥展 Contemporary lucky omen Exhibition
2019.11.02 (sat) - 2019.11.11 (mon)
OPEN 12:00~18:00
期間中無休
※最終日午後4時閉廊
現在、この展覧会は終了しています。
哲学における構造主義的観点から、世界中に同じように存在する人間の共通したある種の“救い・祈り”を、これまでのスタンダードな縁起における定義をベースにコンテンポラリーアーティスト達は、どう料理するのか?

八木佑介 わたしたちの久御山町
2019.09.13 (fri) - 2019.09.25 (wed)
OPEN 12:00~18:00
期間中無休
※最終日午後4時閉廊

現在、この展覧会は終了しています。
京都府南部に位置する人口1万6千人の小さな町、久御山町。社会科の授業で与えられた副読本「わたしたちの久御山町」から小学生であった私達は町を学んだ。 見慣れた光景、変わった光景、あらためて町について調べた中で目に留まるようになった光景。

かつて町北部から中部の一帯には巨椋池という周囲16kmもの巨大な池が広がっていたらしい。多様な水生植物や野鳥が生息し、漁業や蓮の収穫が行われていた。反面、洪水は頻発し、明治期の河川改修で水質が悪化、伝染病が流行ることとなる。1941年、ポンプ機場からの排水によって、食料増産の為に干拓田となり、北西部の東一口地区に住んでいた漁師達には農地が与えられた。 1966年、旧国道1号線のバイパスとして現国道1号線が開通し、周囲は工業地帯として大小多くの企業が誘致される。加え、近郊のベッドタウンとしても住宅地が整備され、町の東部に久御山団地が建設された後、1985年には人口はピークを迎え19136人となる。

1999年、郊外型のイオンモールが開店、2006年には現国道1号線の更なるバイパスとして巨椋池干拓田の中に第二京阪道が開通、久御山ジャンクションが建設され、付近は重要な交通結節点として開発指定区域となり、現在、建設工事が行われている。都市計画により集積された工業地帯、大型商業施設に町外から通勤してくる人の数はほぼ久御山町の人口と同じであり、その比率は全国の市町村で3番目の高さである。

他の市町村と同じく人口減少の中にある久御山町を見回す。夜、人工照明による光景から人間の痕跡が浮かび上がる。環境に対してこれ程影響を与える生物は人間だけだ。交通の利便性により住民を増やしたこの町は、近郊の都市から切り離されてしまわないように、新たにとてつもなく巨大で複雑な久御山ジャンクションを建造した。巨大なショッピングモールに立ち並ぶいくつもの店舗達は、より豊かな生活が得られるのだという幻影を、十分に物を持つはずの私達に抱かせる。2000年、水害防止の為に新設された2つ目の巨椋池排水機場の照明は、征服した地に掲げられた旗のように、広大な干拓田の何もない闇に掲げられている。切実に、私達は生きようとしている。命を脅かす自然の力に対しては強固な鉄筋コンクリートを打ち立て、近代以前の風景は不便なものであったとし現代技術で塗り替えることで、相対的な進歩を感じる。都市は私達の不安と弱さを映している。 過度に巨大な都市の儚さ。私達はいつか光り輝く文明の脆さを知り、それは蜃気楼であったかのように消え失せるのだろうか。うねる波に最初に飲み込まれるのは大きな船でなくその周辺の小舟であるように、この小さな町が「わたしたち」の行く先を指し示している。

私の育った新興住宅地も少しずつ老いていく。成長を終えた先進国であるこの国の小さな町で、アスファルトに溜まった日中の熱気も失せた時間、深夜の空気は冷ややかで穏やかに凪ぎ、私は心地良いと感じる。前へ進むため、整理すべき時代についての記録行為、きっとこの展示は記念碑であり墓碑でもある。